あさぽむ日記

人生死ぬこと以外かすり傷~♪

愛よりお金より大切なもの

私たちは何のために

恋愛をするのだろう。

 

それは私たち人間は

1人では不完全な生き物だから

なんじゃないかな。

 

わたしの元カレの話だが

彼は仕事も出来るバリバリのエリート社会人で、

年収は20代にして1000万越えだった。

そんな彼は、プライベートも

完璧で家の中の至る所に

俺ルールがはびこっていた。

 

自分を律する能力もあり

決して無駄な選択や無駄な行動はしない。

そして、最短距離で目標に達する。

 

そんな彼と1年半一緒にいて

初めのうちは、

刺激的で今までいなかったタイプだし

すごく勉強になる〜♡

という感じだったんですが

1年ほどだったあたりで

彼の「俺に合わせられる?」って

試されているかの質問に

合わして答えている自分に限界を感じました。

例えば、これから海外で駐在するようになるかもしれない、いつ日本に帰ってこれるかも分からない、〇〇ちゃんは大丈夫?というような質問です。

これに対して、

彼は私が日本に帰らなくても、海外に一生住むことになっても全然大丈夫!むしろたのしみ!という回答を望んでいたのだと思いますが

わたしは

海外に一生住むのは考えられなかったので、分からないと答えました。

 

まぁ、そんな風にして

エリートで自分っていうのが

しっかりしている男性と一緒に

いるためには

彼と同じくらい自分もしっかりとして

彼を全力で支えるっていう覚悟が必要になるんでしょう。

 

逆に言えば、

完璧な彼を支えられるほど

完璧な妻であり母でなくては

いけないってことです。

 

それが出来ないようだと

彼は簡単に私を見切って

新しい能力のある美人な女性と一緒になるでしょう。

悲しいようですが、

愛だとかお金だとかよりも

必要なものって、お互いの貢献力だと思うんですよね。

 

でもわたしはそんなハードな道は

選べなかった。

だって、疲れた日はだらだらと

家でテレビ見ながら過ごしたいし

彼のために外国語を学びながら

ひとりぼっちの外国で子育てをする

過酷な生活は辛いでしょ。

 

つまり、冒頭のなぜ

恋愛をするか?の答えは

シンプルに

お互いの足りないところを補完して

よりよい人生を生きていくためだと

思います。

 

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同じところをぐるぐると回ってしまう私。

気がつくといつも同じようなことで

悩んでいる私。

 

一年前からずっとずっと

変わっていない悩み。

 

「今の仕事を辞めたい。

他の職場で働きたい」

 

なんかこのままじゃいやだ!って

気持ちはすごくあるけど

じゃあ、どうしたいんだ?

わたしのなりたい姿って何?

叶えたい夢って何?

って言われるとよく分からない。

 

好きなことの延長線状に考えるとか

将来のステータスから逆算して考えるとか

色んな方法はあると思うんだけど、

まず、やってみないと分からないし

働いててわくわくするような環境で

仕事ができたら幸せだなぁ〜と

思うんだけれど、

どうしたらわくわくするか、ということが

うまく言葉に出して伝えられない。

 

はぁ・・・

どうしたらいいのかなぁ(´ω`)

 

名古屋でリピ買いしたお土産

お土産が大好きなわたしは

名古屋でも大量に購入して

色々と試して・・・笑

これがめちゃめちゃ美味しかったので

ぜひシェアしたいなと思って載せました( ´ ▽ ` )

濃厚なロイヤルミルクティーの味で

本当に美味しいです!!!

家族もみんな絶賛だったのでおすすめです。

特に女子へのお土産なら間違いないはずです(*´ω`*)💓

 

私は名古屋駅駅ナカキヨスク

買いました!

期間限定で、色んな味が楽しめるみたいです。

 

さらら冬 | 商品紹介 | 納屋橋饅頭万松庵

http://www.7884.co.jp/commodity/item21.html

 

他の名古屋土産が気になる方は

こちらのサイトが役に立つと思います★

http://www.nagoya-info.jp/sp/tokushu/post_15.html

 

 

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おばあちゃんになっても与え続けられる人でいたい

先週末、父方と母方のおばあちゃん家に

行っていたのだけど

2人の生き方が全く違っていて

改めて驚いた話。

 

父方のおばあちゃんは

カリスマ専業主婦。

なんでも家で作れて、めちゃめちゃ美味しい。

家で花嫁修行前の女の子を預かって教えたり、

パッチワークでカバンとか置物を作ったり教えたりしている。

家のことはおばあちゃんに聞けば

完璧に教えてくれる。

お弁当もお店で売ってるような

幕の内弁当を家で作って持たせてくれるし

御節もすべて手作りで

1人で3段作って残りを近所に配っているほど。

おじいちゃんを献身的に支え続けて

頼まれて近所の人のヘルパーをやったり

地域でおばあちゃんを知らない人はいないほど。

地元のスーパーでも、銭湯でも

どこにいっても

おばあちゃんの友達に話しかけられる。

人望の厚さはすごい。

 

それとは対照的に、

母方のおばあちゃんは

78歳は現役看護婦として働いていて

週5で朝9時-17時で働いている。

月の給料は私と同じくらい笑

でもまだ納得いってないみたいで、

もっと他の病院の人は貰ってるから

転職しようかな、というアグネッシブな

おばあちゃん。

この前は

「表面は優しいふりしとるけどな、みんな看護婦は、患者のことを金やと思ってるでな」

という面白いおばあちゃん。

まだ耳もいいし、目もちゃんと見えてる。

最近スマホに乗り換えて

ラインを使って写真を送ってきたり

電話をかけてきたりする。

何よりすごいのは

一緒に旅行に行ったりしても

おばあちゃんの方が歩くの早いし、

ご飯をおかわりしたり、私よりもよく食べる。

 

 

2人とも私の自慢のおばあちゃんだ。

やっていることは違えど、

どちらもそれぞれ自分の力を使って

誰かの役に立っている。

その手段として

料理っていう武器だったり

看護婦っていう資格だったり。

 

年齢とともに体力は落ちているはずなのに

やってもらったり、与えられるだけではなく

おばあちゃんになっても

与え続けられる人になっていたいと

強く思う。

 

自分には何だったら

与え続けることができるんだろう。

 

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決められない病。

これは、全く無自覚だったのだけど

ついこの間妹と一緒2泊3日の旅行に

行った時に言われて発覚(;ω;)

 

妹「お姉ちゃんって〇〇(妹)の彼氏と似てるよね。ランチのお店決める時、あっちもみてみようって30分くらいぷらぷら歩くよね。その時間無駄じゃない?」

私「え、でも、そうやってどーしよーかなぁって考えながらおしゃべりしてる時間が楽しくない?」

妹「そんなふうに思ったことは一度もないからその感覚が分からない。今日は肉の日だな、とか、始めにパッと浮かんだものでいいじゃん。」

私「・・・。でも、見ていくうちにあ、やっぱりこれ食べたいって気が変わることもあるよ。」

妹「でも、だいたいいつも同じような店にしか行かないじゃん。」

私「・・・」

 

そんな会話をしていて

妹は合理的な男性脳

私はのんびりとした女性脳なんだろうな

と感じました。

 

店選びは一例ですが、

これって人生の全てに影響してくるな

と思っていて

決めるのに時間をかければいい

っていう私の概念をぶち破った出来事でした。

物に溢れる情報社会では

妹のようにMYルールを持って

取捨選択していくチカラが必要なんだなと

感じました。

 

でも、ランチは1日の楽しみだから

ゆっくり悩んで決めたいな笑f:id:asapomn:20170116082426j:image

モデルの彼女に猛烈に嫉妬。

フェイスブック開いたら

誰かが大学のミスコンの

まとめサイトをシェアしてて

なんとなく開いてみたら、

なんと、、

大学の時の知り合いが載っているでは

ないですか。

さらに気になって名前で検索すると

今はモデルをバリバリやっていて

CMに出たり、ゾゾタウンなどのモデルや

街中のポスターのモデルを

やってるじゃないですか。

そしてインスタを見ると

キラキラしたザ・モデルです!

っていう写真がいっぱい載ってて

フォロワーは2000人!!

私の数十倍(´;ω;`)

 

なんか同じ大学通ってたのに

すっごく差が開いている感じがするのは何故ですかね。

 

何もかもが負けた感じがしました。

やりたいことやって

お金稼いで

さらにいろんな人に必要とされている

存在の彼女がとても羨ましくたまりません。

 

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当事者意識を持つために大切なことは強制的に◯◯を与えること。

「当事者意識」って言葉ほど

難しいことはない。

 

何も思わなければ

何もない人生になるし、

何かを思えば、

何かの人生になって行く。

 

私は演劇部の時も

初めから主役のオーディションを受けずに

ちょい役ばっかり受けていたのだ。

「下手なのに主役なんか受けてって思われたくない」

「ちょい役だったらもともと期待値が低いからちょっと努力するだけで、評価されて美味しいんじゃないか」

なんてことを考えていたのだ。

 

そう、当時の私は

何かに無我夢中になっている自分をみせるのが

とても恥ずかしかったのだ。

 

真面目で一生懸命頑張っている人なのに

結果が出ない人っていうのが

すごく恥ずかしくて嫌だったのだ。

 

負けて恥ずかしいところを見せたくないので

どんどん勝負しない人生に

なっていくことになる。

 

当事者意識という言葉は

自分に役割を与えること、と

言い換えることが出来ると思う。

 

そしてそれは、

自分が何者であるのか、

どういう役割を持っているのか、

それを強制的に自分に与える行為こそが

当事者意識を持つということなんだと思う。

 

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